オーガスチンのまなざし 神のおとずれ2021年12月号より

「悪い奴の明日に期待する」

十月九日(土)大聖堂で、八代学院主催「創立者ミカエル 八代斌助主教逝去五十周年記念礼拝」が行われました。この礼拝は、昨年十月に予定されていましたが、コロナ禍で今年に延期になっていたものです。丁度、逝去二十五年に出版された永田秀郎著『跪くひと八代斌助』から引用しながら説教しました。

斌助主教の父欽之允は、明治二十六年秋田県から小学校長として、苫小牧から東へ約三十キロの鵡川(むかわ)に行きますが、そこで不幸な出来事に出会い、明治二十九年平取の聖公会にいるバチェラーによりキリスト教信仰に入ります。そして函館の神学塾で学び、その地で明治三十三年三月三日、八代斌助は誕生します。

大正六年、斌助十七歳の時、函館のラング宣教師の下で、一年間学びます。ラングの期待によって立教大学予科に入学しますが、授業は退屈で、両国の出羽の海部屋通い、相撲にうつつをぬかします。母ヨシの死もあり、家計を助けるため青島に渡り、魚の行商などをしますが、生活が成り立ちません。たまたま入った聖公会の教会で、英国人エドワードに助けられ、その教会で聖書の講義やクリスマス礼拝も行いますが、日本に帰って、神学をもっと2qw3学ぶように諭され、帰国します。

父欽之允は、リュウマチが癒えず、たまたま神戸地方部の傍ら、北海道地方部の管理監督(現在の主教)になったフォスに南国への転勤を希望し、高知聖公会への転勤が決まります。そして父に同行した斌助は、フォスの期待により、姫路顕栄教会の伝道師補に用いられます。一年後にやって来たバジル監督に斌助は長老(現司祭)に叙任されます。そして、周りの斌助への批判を聞きつつも、バジルは斌助の将来を信じて、ケラム神学校に留学させます。

この説教を考え始めた時から、斌助主教の長男で、今年逝去三十年を迎えた欽一主教の『キリスト教というのは、悪い奴の明日に期待する宗教じゃ』の声が、私の心に響いていました。若者たちの明日に期待する主教でありたいと思います。

(神戸教区主教)