アンデレ便り5月号:新任牧師の誘惑

 引っ越しのために多大な時間と労力を費やし、6名の教役者が3月末までに無事、新任地へ移動しましたことを、教役者及び夫人に感謝を申し上げます。友人、先生と別れを告げ、今までとは全く異なる状況下に置かれることになった教役者の子どもさんたちが、一日も早く新しい環境に慣れることを願っております。
  5月にも若干の人事異動を実施しますので、教区内の約半数、13教会が、新たな牧師・管理牧師を迎えることになりました。異動した教役者は、さまざまな思いを抱いて復活日を迎えたことと思います。新任牧師を迎える信徒の方々も同様でしょう。
  新任牧師は、異動を絶好の機会として、教会員の構成、礼拝や諸集会の方式を大幅に変更ししようとする誘惑にかられる場合があります。
  聖餐式を例にとりますと、極端に、礼拝や聖歌の選曲を変えてしまいます。このような変更が、ひいては、前任牧師のやり方を否定しているように映ってしまい、多くの信徒が戸惑い、牧師への不信感さえ抱いてしまう結果になりかねません。サーバーや聖書朗読者の増員や、オルターギルド、アッシャーをより充実させることには、何ら問題は生じません。
 礼拝のかたちを変えようとする場合、それぞれの教会の慣習と伝統に十分に配慮し、礼拝学に裏付けされた変更理由を教会員に十分説明し、多数の了承を得たうえで、変更を加えることを望みます。
  私たちが現に使用している祈祷書・聖歌集は完璧なものではありません。より洗練された礼拝に向けて、教役者は常に学びを怠ってはなりません。私自身、「A Priest’s Handbook -The Ceremonies of the Church」や「Celebrating The Eucharist」などを参考にしております。信徒の方々への入門書としては「礼拝と奉仕(桑山隆著)」「典礼奉仕への招き(オリエンス宗教研究所)」などが良書だと思います。

米子・境港・江津の3日間

 4月17日(土)、午前11時からはじまったセクシュアル・ハラスメント委員会を中座し、正午過ぎの新幹線岡山経由で米子駅に到着、4時から米子聖ニコラス教会で開催された、米子・松江合同委員会に出席した。
 松江基督教会と広瀬基督会を約1年半の間、司牧してくださった桑原司祭の労に感謝しつつ、5月より、米子聖ニコラス教会牧師瀬山会治司祭の、松江基督教会管理牧師就任を認めていただいた。その後、両教会の宣教・牧会の現状を分かち合い、礼拝や集会などの日程を調整した。瀬山司祭は、米子、境港、広瀬そして松江地域の牧会上の責任を担い、信徒のケアーと、2幼稚園のキリスト教保育普及のために尽力することになる。会議終了後、懇親会が教会ホールで行われ、両教会の方々と、親しい交わりのときをもった。
  翌日、10時より瀬山司祭の米子聖ニコラス教会牧師任命式を行い、昼食後、午後3時より境復活教会で聖餐式と堅信式を挙行。高等学校の先生をされておられた寺澤敏彦さん
 が堅信の恵みに浴された。
  小さな群れである境復活教会は、ここ2,3年で、3名の堅信者が与えられた。牧師の、地道な宣教活動が次第に開花してきた結果である。式後、佐賀さん宅で祝いの宴がもたれ、寺澤さんの子どもさん、お孫さんも加わり、賑やかな会となった。
  翌朝、瀬山司祭の運転で江津へ。途中、出雲の勝部宅を訪問。病床で緊急洗礼を受け、今年2月1日に天に召された勝部文男さんの遺影が置かれている部屋で、勝部聖子(瀬山岩雄司祭令嬢)さんから、文男さんのお葬式の出来事などをお聞きした。この地でキリスト教式の葬儀は非常にめずらしく、参列者の多くが、心に残る葬儀であったとの印象を持ったということである。話の途中、松江から来られた3名の親せきの方達も加わってきた。突然の訪問ではなく、聖公会神戸教区主教が来るということで、家の方が呼ばれたそうだ。出雲そばをご馳走になり、聖子さんの願いで、皆を代表して、勝部文雄さんのために祈りを献げ、勝部家をあとにした。
  江津インターチェンジ前で平野司祭ご夫妻と合流し、景山さん宅に到着。景山博さんの洗礼・堅信式を行うためである。夫人のたっての願いで、瀬山司祭の手で洗礼が施され、堅信式を終え、博さんは初聖餐を病床で拝領された。浜田基督教会を永年司牧された瀬山岩雄司祭時代から、数十年にわたる奥様の篤い祈りが神さまに届けられ、本人も洗礼を受けることを決心したのである。
  圧倒的な非キリスト教的風土のなかで、山陰の教会信徒は、キリスト教信仰を証しし、信仰を継承するため、多大な努力を払っていることを肌で感じた3日間であった。

天城主教のこと

 2004年4月22日、私の主教聖別・神戸教区主教着座式の説教をお願いしたところ、快く引き受けて下さった元北海道教区天城英明主教は、4月5日(月)午後11時前、83才の生涯を終えられた。
  天城主教は、キリスト教信仰に根ざした道徳・倫理に非常に忠実な方であり、その基本は十戒にあることを強調された。1959年の、いわゆる文語祈祷書では、十戒は聖餐式本文の準備に入っていたが、現行祈祷書では、聖餐準備の式の中の一部に移された。聖餐式に臨むに際して、当時、多くの教会では十戒を唱えていたが、現在の祈祷書に移行して以来、これが希になった。
  「求道者は十戒の存在すら知らない人々もあり、また長い信仰生活者も十戒が遠いものになったことが残念である。」と主教は憂い、「なぜ、人を殺しては悪いのだ、なぜ、親を敬わなければならないのか、これは世間、若い世代の人々が、平然と発する言葉であるが、信仰は、心だけではなく、社会、生活規範を伴うことをしっかりと教え、キリスト者は十戒を繰りかえして読み、聞き、実践することが大切である」ことを強調されておられた。
  社会のみならず教会においても、物事の考え方、その行動が、どうみても、キリスト教信仰を逸脱しているとしかいいようのない信徒や聖職の存在を嘆いておられた。
キリスト者全ては、イエスの受難と死を信仰的に真摯に受けとめ、これを通して、キリスト者個々人の弱さ、罪深さを認め、それを心から悔やむことが求められる。これを怠り、道徳・倫理の明確な姿勢を欠いた信仰が教会のなかで蔓延することが、聖公会の一致を脅かす最大の原因になることを危惧されたのである。