アンデレ便り2月号:2011年1月17日

 今年も阪神・淡路大震災記念日の日がやってきた。地震発生の時刻である午前5時46分はミカエル教会に向かう車上で迎え、車を道路脇に停め、震災犠牲者のために黙祷を献げた。震災から数年間、この日にはヘリコプターが夜明け前から飛び交い、その騒音が目覚まし代わりとなったが、今年は、物音一つ聞こえてこない、全くの静かさのなかで17日の夜明けを迎えた。
  10時半から行われる、神戸教区阪神・淡路大震災を記念して建てられた神戸聖ヨハネ教会での震災犠牲者追悼聖餐式に臨んだ。教会に近づくにつれ、16年前の出来事がまるで昨日のように思い出される。

震災の惨状

 猛烈な揺れがおさまった後、教会近くに住む男性は総出で、救出活動を開始した。教会東向かいの家の二階に寝ていた女性は、天井の梁が頭を直撃し、即死状態であった。身体に覆い被さった瓦礫を取り除き、教会から持参した、担架代わりのはしごに身体を巻き付け、慎重にからだを二階から地上に降ろし、近所のお医者さんの自家用車で病院まで搬送したが既に事切れていた。教会東隣りの家屋は南側に倒壊した。北側の部屋に寝ていた女性がこのなかにいるという。地面と壁の隙間を覗くと、ふとんの端が見える。隙間は僅かに15センチ弱である。自家用車のジャッキを4、5本かき集めて、それらを地面と壁の間に挟み込み、巻き上げたが、浮きあがらない。しばらくすると、酒屋のおじさんが駆けつけ、持参の強力なジャッキを回すと次第に壁が浮き上がり、中に潜り込むことができた。のこぎりで梁を切断し、とうとうからだを外に出すことはできたが、すでに息絶えておられた。遺体を収容する場所が確保できず、教会の礼拝堂に安置することになった。
  更に南の家では、少女二人が、一人は胸、一人は足を大きな梁に挟まれて身動きできず、「苦しい、苦しい、助けて」と叫び声を上げている。隙間から床下に潜り込み、身体を数回引っ張ってみたが、どうしても抜けない。そのうちに消防隊員がジャッキを手にもって現れたが、それは消防車用のものであり、とても地面と梁の間に挟み込める代物ではない、無用の長物であった。相談の結果、屋根を剥がして上からの救出を試みることになった。近くの工務店のミニ・ユンボの手助けもあったが、頑丈な家で、私たちにはまったく歯が立たなかった。数時間後、クレーン車が到着し、上から穴を開けて梁をつり上げ、二人は無事救出されたが、そのうちの一人は病院で息を引き取った。
  教会近くでは約20名の尊い命が奪われてしまった。昨日まで親しく挨拶を交わした人が突然居なくなるという出来事が、実際に起こったのである。
  教会ホールは避難所となり、震災後数時間で、約30名の方々が収容されたが、そのほとんどは高齢者であった。16年後、避難者の三分の二は、この世に存在していない。この人たちにとっての、人生における最も厳しいときに、教会が援助の手を差し伸べることができたことを感謝している。

港町「コウベ」の未来

 1868年、神戸港は外国に門戸を開いたが、貿易相手国の90%は英国であった。震災復興にあたり神戸市は、東アジアの玄関口として神戸を位置づけたように記憶する。以後、神戸空港が開港し、三宮から長田までの地下鉄海岸線が貫通し、サッカー競技場が地下鉄駅の側に建てられた。しかし、当初のもくろみとは裏腹に、震災前までは世界第4位の貿易高を誇った神戸港は、現在は20位にランク付けされているという凋落ぶりで、空港の規模も中途半端、地下鉄も赤字続きである。このままいけば、神戸は単なる大阪の周辺地の一部として埋没してしまう危険性が大である。
  弔うとは、死者の霊を慰めるという意味である。今こそ、神戸の独自性の再発見と、街の活性化促進が求められる。震災以前よりも「コウベ」らしい町づくりへの努力こそ、震災犠牲者への弔いなのである。

宣教協議会実行委員会開催

 今年7月18日(月・海の日)に開催予定の教区宣教協議会を円滑に進めるため、1月22日(土)、教区会館で、第1回目の実行委員会がもたれました。
  協議会には各教会から全牧師と、信徒複数の参加を望んでおりますが、実行委員会では、参加者の事前学習の可否、教会の健康診断実施方法、教会現状の分かちあい方法などを協議しました。
  宣教協議会開催にこぎ着けるまで、3年もの年月を要しました。
  2008年、主教諮問機関として発足した宣教検討委員会では、教区内各教会の宣教実体について、様々な角度から分析しました。その結果を踏まえて、昨年度の教区会で教区宣教委員会が設立されました。宣教委員会は、各教会がそれぞれの地域において宣教活動を策定し実施するとき、色々なかたちで支援する組織です。

宣教の使命再確認とビジョン策定

 教区内各教会は、多くの問題を抱えておりますが、特に顕著なのが、教会員の高齢化です。過去10年の教区統計では、新たに教会に加わった人と亡くなられた方がほぼ同数です。しかし、堅信礼を受ける中高生と何十年も教会を支えるために尽力された方々の献金額には相当の開きがあり、これが教会財政を逼迫させているのです。いきおい、出費削減を強いられ、教会を維持管理するための固定費だけの予算しか組めない状態に陥り、宣教活動費を捻出することが困難となります。従って、教会では、毎年同じような計画が立案され、それを消化するだけで精一杯というのが現状だと推測します。
  教区宣教協議会参加者には、宣教の使命を共有し、宣教使命に基づくビジョン策定のための方法を学んで頂きたいと願っております。
  その後、自教会に戻り、教会の現状を他の教会員と共有し、様々な意見を吸い上げながら、宣教の可能性を模索し、実現可能と思われる選択肢の中から、より適切な事柄についての幻(ビジョン)を設定し、それを実行して頂きたいと思います。
  2016年は神戸教区宣教140年目に当たります。この年には、神戸教区に属する全ての教会が、今以上に宣教の使命に燃えて、活き活きとした教会に変身していることを望んでおります。