アンデレ便り5月号:入交源治司祭逝去

 2011年受苦日(4月22日)の早朝、午前5時5分、入交司祭は85才の生涯を終え、神さまの御許に召されました。
  入交司祭は、退職されるまで、四国の教会で宣教・牧会活動に従事され、退職後は、洲本真光教会に嘱託司祭として勤務されました。徳島出身の方でありますから、学校卒業後、松蔭のキリスト教学科で学んだ数年間を除き、その生涯のほとんどを四国で過ごされました。

2人の司祭の逝去

  戦後の日本は、大地震を2回経験しておりますが、神戸教区は、阪神・淡路大震災の約1か月後、田中愛次司祭を、今回の東日本大震災では、入交源治司祭を失いました。
  田中司祭は亡くなられる前、主日勤務されていた明石聖マリア・マグダレン教会の信徒名簿が欲しいとおっしゃいました。名簿を開いて、信徒一人ひとりの顔を脳裏に浮かべ、その人たちのために祈ることにより、最後まで良き羊飼いとしての司祭職を全うしようとされたのです。
  私の主教按手式の説教での、天城主教の言葉を思い出します。
  数多い羊飼いと羊の物語の中で、99匹と1匹の物語は広く知られています。99対1の関係と意味は何でしょう。これは古今聖歌集460番、殊に第2節はこの物語の真意をよく表わしていると思います。
  「主よ99あらばよしとせずや」
  99匹いるなら、来春また3~40匹の小羊が生まれるでしょう。夕暮れの山道を1匹探しに行くのは危険です、おやめなさい。これは世の常識、人の声です。
 「離れ、さまようものも わがものなり」
  これは神のお答えです。迷い出た1つも神のもの、これが救われる時、天にも大きな喜びがあると。たった1つ、かけがえのない尊い1つの生命であると。これが聖書の教えです。数の対比の物語でなく、1つの生命、魂の尊さ、1つのもつ意味と価値の強調なのです。
  入交司祭ほど、聖公会の将来を心配される方はおられませんでした。近年、北米の聖公会が行っている、同性愛者の聖職按手や教会での結婚の祝福に反対し、聖職の道徳・倫理低下を嘆かれておられました。入交司祭にお会いしますと、必ず、「主教さん、大丈夫ですか、あなたがしっかりしないと神戸教区はだめになりますよ」と、励ましとも、警告にもとれる言葉を私に向かっておっしゃいました。
  入交司祭は、自分の考えや行動の正当性の主張に終始するキリスト者の姿勢に怒りを覚えておられたのではないでしょうか。道徳・倫理に明確な姿勢を欠いた信仰が聖公会のなかで蔓延し、それがひいては聖公会の一致を脅かす最大の原因では無かろうか、と危惧されておられたのです。

 昨年は、村瀬啓輔司祭を失い、神戸教区の先輩聖職が次第に少なくなりました。信仰の先輩たちが遺された宣教の足跡を学びつつ、これを今日の宣教活動に活かすことが求められております。

京阪神3教区日立ボランティアセンター発足

 東日本大震災後の4月1日、管区で開催された大震災教区担当者会議では、各教区の震災救援の取り組みについて分かち合いのときを持ちました。4月12日(火)を次回の会議とし、各教区の、被災者救援への取り組みについて、何らかの提案がなされることが期待されました。
  4月8日(金)、大阪教区事務所で、高地京都教区主教、大西大阪教区主教そして私、大震災救援活動担当司祭が集い、3教区協働活動の可能性について、聖公会手帳と、地図をにらめっこしながら、あれこれと話し合いました。そのうちに、日立聖アンデレ教会に定住牧師がいないことを発見しました。日立はいわき市に近く、この地域から南方面への支援をする場合の、基地として最適なロケーションとなります。これでいこうということになり、早速、北関東教区主教はじめ、関係各位に京阪神3教区の計画をお伝えし、了承を得ました。この計画を「京阪神3教区救援協働プロジェクト」として、12日の会議で提案し、承認されました。
  プロジェクトの目的は、京阪神3教区が一致協力して、北関東教区日立聖アンデレ教会を基地として、いわき市以南地域被災者への救援活動を実施するというものです。プロジェクトの期間は4月19日(火)から6月30日(木)までとし、3教区の聖職を順次、指導者として日立ボランティアセンターに派遣することになりました。
  このプロジェクト発足により、大震災翌日に立ち上げた、神戸教区救援対策本部を4月12日に解散し、同日、東日本大震災対策室を設置、室長に芳我秀一司祭(教務局長)が就任しました。

ボランティアセンター開所式挙行

  4月19日(火)午後2時、日立聖アンデレ教会礼拝堂で、京阪神聖公会ボランティアセンター開所式が行われました。式には、高地京都教区主教、広田北関東教区主教、大阪教区主教代理として木村司祭始め、関係者が集い、発足を祝福しました。
  高地主教は挨拶の中で、「恐らく、少人数での活動となりますので、大きな団体には手の届かない人たちへの、地道なボランティア活動が必要だと思います。」と述べられました。

マケドニア人の声

  パウロはトロアスというところで過ごしたある夜、夢を見ました。一人のマケドニア人が立っており、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください(使徒言行録16:9)」とパウロに願ったのです。パウロは、神がわたしたちを召されているのだと、確信し、ヨーロッパの一部であるマケドニアに向けて出立したのです。
  ボランティアセンターは発足しましたが、現在のところ、どのような活動が求められているか、全く分からない状態です。たとえそうであっても、神さまは、被災者の声を聞き入れ、ボランティアを、その人たちのほうに導いてくださるものと確信します。