C年 顕現後第3主日

顕現後第3主日

限りなくいます全能の神、天においても地においても万物を支配しておられる主よ、
どうか慈しみをもって主の民の願いを聞き入れ、主による平安をこの時代にお与えください。
主イエス・キリストによってお願いいたします。
アーメン

第1の朗読

ネヘミヤ記第八章二節から

祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。
そこには、男も女も、聞いて理解することのできる年齢に達した者は皆いた。第七の月の一日のことであった。
彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。
民は皆、その律法の書に耳を傾けた。
書記官エズラは、このために用意された木の壇の上に立ち、その右にマティトヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが、左にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカルヤ、メシュラムが立った。
エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。
彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。
エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。
次いで、イエシュア、バニ、シェレブヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、ヨザバド、ハナン、ペラヤというレビ人がその律法を民に説明したが、その間民は立っていた。
彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。
総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。
「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。
彼らは更に言った。
「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」


詩編 19編1-11 

1, 天は神の栄光を語り‖ 大空はみ手の業を示す
2, 日は日に言葉を語り継ぎ‖ 夜は夜に知識を伝える
3, 言葉でもなく、話でもなく‖ その声も聞こえないが
4, その響きは地を覆い、その言葉は世界の果てに及ぶ‖ 神は海に太陽の幕屋を据えられた
5, 太陽は花婿のように住まいを出て‖ 勇士のようにその道を喜び走る
6, 天の果てから姿を現し、その果てまで巡り行き‖ その熱から隠れ得るものはない
7, 主の教えは完全で、魂を生き返らせ‖ 主の諭しは変わらず、心に知恵を与える
8, 主の定めは正しく、心を喜ばせ‖ 主のみ旨は清く、目を開く
9, 主の言葉は混じりけなくとこしえに続き‖ 主の審きは真実ですべて正しい
10, 金よりもどんな純金よりもすばらしく‖ 蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い
11, あなたの僕はこれに教えられ‖ それを守って大きな報いを受ける


第2の朗読

コリントの信徒への手紙一 第12章12節から

体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。
つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、
奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。
神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。


福音書 

ルカによる福音書 第4章14節から

イエスは〝霊〟の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。
イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
「主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げ知らせるために、
 主がわたしに油を注がれたからである。
 主がわたしを遣わされたのは、
 捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるためである。」
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。
会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。



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