オーガスチンのまなざし 神のおとずれ2022年2月号より

『コラムの締切』

毎月のコラムの締切を広報部の担当者から「次号の締切は、○月×日です。よろしくお願いします」と優しいメールをいただきます。二月号の締切は一月三日(月)。この原稿を二〇二一年最後の巡回・堅信式(十二月二十六日)を終えて書いています。二〇二一年は、兵庫県に三回の緊急事態宣言が出され、巡回も延期に次ぐ延期で思うようにいきませんでした。それでも一年の後半に、十回の堅信式が行われ、十一名の方に手を置いて神様の恵みを祈ることが出来ました。各教会の宣教牧会の努力と神様のお導きに感謝しています。

 

『選ばれる教会』

二〇二一年の堅信志願者を見ていまして、単身で教会の門をくぐり、求道し、受洗された方々が多かったように思います。たまたまその教会に通いだした、という見方もありますが、一人の方が洗礼を受けるためには、使徒言行録のエチオピアの高官(八章)や百人隊長コルネリウス(十章)の受洗の記事を読みますと、いかに神様が導かれたかが分かります。神様によって、多くの教派、教会の中からその教会が選ばれ、そこに導かれたのです。

それではなぜ、その教会が選ばれたのか。神様の選びの基準は、旧約では「あなたは他のどの民族よりも貧弱であった。(申命記七・七)」と言います。新約は、(一コリ 一・二十六以下)、無に等しい者たちが選ばれます。それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるようになるため、と説明されています。

私たちの教会が貧弱であり、無に等しいだけではだめです。神様を誇り、神様を信頼し、神様の恵みによって、生きている教会だからこそ神様は求道者をわたしたちの教会に導いてくださるのです。「この人を頼むよ」と神様が。

今年最後の堅信式を終えて、受堅信者にプレゼントする聖書にサインを求められました。いつものようにコリントの信徒への手紙一第十五章十節のみ言葉「神の恵みによって、今の私があるのです(教会共同訳)」を書かせていただきました。感謝です。

(神戸教区主教)