日本聖公会 神戸教区ホームページです。このホームページにはキリスト教信仰に関わる情報が集約されています。

主教からのメッセージ

アンデレ便り7月号:耐震改修工事、いよいよ開始

2010年7月1日

 5月31日(月)午後、施工工事候補3社から寄せられた見積書を開封し、工事業者を決定する会議が開かれました。

この胸のときめき

 今まで、教会や会館、校舎の建築に関わってきましたが、見積書開封時にはどうしても胸が高鳴ります。「想定した価格より高かったらどうしよう」という不安が心によぎってしまうからです。教会の場合、建築資金に余裕などありません。ある教会の場合、全ての業者が、教会が想定した価格より高い見積もりを提示してきました。やむなく、最低価格の建築会社社長に、設計士と共に面会し、「建築の仕様を変えずに、何とかして1千万円を値引きし、工事を引き受けてくださらないでしょうか」と直訴しました。12月24日、クリスマス・イブの午後です。余りにも虫がよすぎる話ですが、教会の窮状を訴え、どうにかして建築を了承していただきました。この会社、教会建築は初めてであり、しかも会社創立の節目の年でもあり、その記念として建てましょうと社長は言ってくださったのです。ビッグなクリスマスプレゼントを携え、イブ礼拝に臨みました。

建築献金は1,900万円

 開封に先立ち、建築事務所の設計見積書が開示されました。教区会で承認された価格より482万円安い5,685万円です。ほっと、一安心です。さて封を切った結果、最低価格4,725万円を提示した竹中工務店に施工をお願いすることになりました。教区想定価格より、643万円低い値段となりました。
  6月22日(火)開催の常置委員会で、施工業者、建築予算が正式に承認されました。当初収入予算では、管区より1,000万円の借り入れを予定しておりましたが、これを取りやめ、1,900万円の不足金全てを耐震改修募金として、神戸教区内外に広くアピールすることになりました。
  献金は7月1日より来年3月31日まで実施します。どうか、皆さまのご協力を宜しくお願いいたします。  この工事のため、聖ミカエル教会は3,000万円と、これに加えて、献金趣意書にはありませんが、納骨堂増築工事費624万円、計3,624万円を献金してくださいました。感謝!

工事の目的

 この工事実施により、建物の寿命を30~40年延ばし、大聖堂の次の時代を担う人たちの負担を少しでも軽減することで、私たちの責任の一端を果たしたい所存です。そして、大聖堂聖別100年までに、21世紀後半から22世紀にかけての、神戸教区におけるキリスト教宣教と大聖堂の役割についての将来像を描きだし、それにふさわしい大聖堂へと、衣替えしていただきたいと思います。  

ドナ ドナ ドナ

  6月2日(水)、山口県長門で開催された神戸教区教役者会で朝の祈りを終え、午前7時からの早朝聖餐式を待つ間、窓の外を眺めました。そこは谷間が拡がっており、空中では、産まれて数か月のつばめ10数羽が飛行訓練のために空中を舞っておりました。この光景を見て、即座に、「ドナ ドナ ドナ」の歌詞の一節を思い出しました。側にいた、サーバーのポールに、「この歌、知っているか」と訊きますと「知りません」との返事。かれこれ50年前のヒット曲であり、若いポールは知る由もありません。
  ジョーン・バエズによって歌われた「ドナ ドナ ドナ」の英語の歌詞は以下の通りです。 「On a wagon bound for market There’s a calf with a mournful eye High above him there’s a swallow Winging swiftly through the sky How the winds are laughing They laugh with all their might Laugh and laugh the whole day through And half the summer’s night  Dona Dona Dona Dona・・・」
  翻訳しますと、「悲しそうな目をした一頭の小牛が荷馬車に乗せられて市場へ連れられて行く。空中高くには、つばめが一羽、すいすいと飛んでいる。風は笑っている、一日中、夏の夜半まで笑ってる。ドナ ドナ ドナ・・・・・・ 」。

隠れユダヤ教徒の歌

 1492年、スペイン人のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した年、本国では、ユダヤ人国外追放令が出されました。ユダヤ人は3つの選択肢があったということです。一つは、住み慣れた国を後にして海外に移住する。二番目は、ユダヤ教を棄て、国教のカトリック教徒に改宗する。最後は、外面ではカトリック教徒に改宗しながら、内面ではユダヤ教徒としての生活を維持する。この三番目の人たちを「マラノ」と呼んだのです。

 あるユダヤ人技師が、北ポルトガルの山村ベルモンテを訪れ、隠れユダヤの老人と会いましたが、老人はこの技師を礼拝に参加させます。祈りはポルトガル語でありましたが、「主よ」の一語だけは「アドナイ」というヘブライ語のままでした。この事実を知った、マラノ研究家の小岸昭氏は、先程の歌の原譜ではDONAがDONAY(ドナイ)になっていることに注目し、これがカモフラージュされたADONAYではないのかと推論したのです。ドナ、ドナ、ドナの作詞者のカッツネルソンの過去を調べた結果、ホロコーストの時代に、彼の妻と二人の息子が捕らえられ、強制収容所に移送された事実を掴んだのです。息子たちは縛られ、荷車に乗せられていくさまを、彼は必死に耐えて見送っていたのではないか。それで、作詞者はドナイと読み込んだと推測するのです。
  無力さと絶望の果てに、彼は声にならない叫びを上げていたのです。
  「主よ、主よ、主よ、(アドナイ・アドナイ・アドナイ)」
                     「不在の神は風の中に(前島誠著)」より

 1960年代にヒットしたこの曲を、学生を中心に多くの日本人がその意味も充分に理解せず、歌いました。
  戦後、苦難を乗り越えパレスティナに移住したユダヤ人はこの地に1948年、イスラエルを建国しました。約60年経過した現在、今度は、パレスティナ人がイスラエルの人たちを眺めながら、「ドナ、ドナ、ドナ」と、苦しみと絶望の声を神に叫んでいるのです。