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主教からのメッセージ

アンデレ便り11月号:10月10日からの1週間

2010年11月1日

 10月10日(日)は八代斌助主教が40年前に逝去された日です。この日、私は東アジア聖公会協議会主教会出席のため香港滞在中でしたが、会議を途中で失礼して帰国しました。神戸に帰ったのは午後5時半でした。

耐震改修工事完了感謝式典

 大聖堂に入りますと、耐震改修工事完了感謝礼拝・式典に出場するアコライト、子ども聖歌隊、式典司会などの練習が同時進行しており、聖堂内は若い熱気が充満しており、てんやわんやの大騒ぎです。出演者は学校やクラブで忙しく、この日が最初で最後の練習なのです。本番では、旨くいくことを祈るばかりです。
  夕方、感謝礼拝でオルガンを弾いて下さる松原晴美さん、テノールを独唱される小貫岩夫さんとピアノ伴奏者、マリンバ演奏の内海佳子さん、そして大聖堂参事で音楽担当の原田里香子さんと共に会食。ピアノ伴奏者以外は聖公会員でしたが、ピアノ伴奏者は、高松出身で、聖ヤコブ幼稚園のすぐ側で育った方で、しかも、お連れ合いは、姫路の聖ミカエル広畑幼稚園の卒園生だということです。
これも不思議な縁というものです。
  11日(月)は快晴に恵まれ、約350名の人たちで聖堂は満席となり、午前10時半より聖餐式が開始されました。聖ミカエル教会以外から来られた信徒・聖職は、入堂聖歌が始まったとき、大聖堂の音響に驚かれたことでしょう。残響が約2秒に改善され、今までとは違った響きが生み出されたのです。子ども聖歌隊も、透き通った、初々しい声で神さまを賛美しておりました。
  式典は、高校生が司会をし、小学生によって感謝の辞が述べられ、エーアンドディー設計企画の山田所長と、51年前にこの大聖堂を建築し、今回も施工を請け負った竹中工務店八木博嗣神戸支店長に花束が贈呈されました。礼拝には、松蔭女子学院、八代学院そして頌栄保育学院や神戸YMCA関係者などが臨席くださいました。社会福祉法人光朔会、聖ミカエル幼稚園・保育園、聖ニコラス保育園も食事の応援をしてくださいました。

聖ミカエル大聖堂の将来

  聖ミカエル大聖堂にかかわる人たちの特徴といえば、枝葉末節に捕らわれず、おおらかで、物事をおおように構えて事にあたるというのが伝統でした。これは大聖堂としての聖ミカエル教会の多様性の表れでもあります。開けっ放しの聖堂では、八代斌助主教の時代、二階には刑務所帰りの人が寝起きし、秋山牧師時代には、二階奥の部屋には女性が住んでおりました。私の牧師時代、東京教区の大畑司祭の息子さんが、寝るために地下和室にいったとき、暗闇のなか、後ろから突然、声を掛けられ、おばけがでたと勘違いし、腰を抜かしてしまいました。夜になると地下和室の窓から忍び込んで寝泊まりする人間がいたのです。
  今回の工事で、建物としての大聖堂は3,40年の延命処置が施されました。大聖堂の新築は恐らく50年先の話でしょう。そのとき、今の10才から20才の人たちが中心となって、その時代に相応しい大聖堂建築が実施されることが期待されます。

 ヨエル書1章に、「老人は夢を見、若者は幻を描く」という言葉があります。長い間信仰生活を続けられている人たちは、未だ成し遂げられていない夢の実現を、次代を担う人たちに託し、大聖堂の業を引き継いでもらうことが必要です。これを通して、若い人たちに人生の指針を与ることができるのです。
  聖ミカエル大聖堂が、神戸教区や聖公会関係学校・園の母教会としての役割を担い、港町コウベと共に歩み、神戸の町の風景の一部にとけ込んで、文化の一端を担う存在となるよう願っております。

葬送式と聖婚式 

 15日(金)、新装成った大聖堂で初めて葬送式が営まれました。岡本拓也さんは白血病を患い、骨髄移植を2回受けましたが、病状が好転せず、12日(火)天に召されました。22才の若さです。神戸国際大学附属高等学校卒業生であり、聖ミカエル教会と八代学院関係教役者の手によって、神さまの御許に送りました。
  この日の夕方、信徒1名と10名以上の教役者が三宮某所に集い、與賀田光嗣司祭を囲んで飲み会が開催されました。河村司祭以来、神戸教区恒例となった行事です。飲み会には、大阪教区の井上進次執事も加わり、林・長田両司祭とウイリアムス神学館の寮生活の出来事について花を咲かせておりました。私は聖公会神学院に6か月お世話になりましたが、寮では、世間様にはとても顔向けできないような振る舞いをしでかしたものです。與賀田神学生も同様でしょう。大いに懺悔しつつ聖婚式に臨んだことだと思います。
  16日(土)午前11時より、與賀田光嗣司祭と阿部紫乃さんの聖婚式。この日も晴天に恵まれ、ご両人の関係者多数が大聖堂に集い、二人の門出を祝福しました。林司祭は、説教のなかで、祭壇上の、東壁面に刻み込まれた十字架について言及しました。これが私の脳裏を離れなかったのでしょうか、結婚指輪を祝福するとき、「この指輪を祝福し・・・・・・愛の約束のしるしとしてください」と言うべきところを、「この十字架を祝福し」と言ってしまったそうです。式後、信徒の方数名から心のこもった指摘と教育的指導を受けました。

牧師夫人の役割

  話は、CCEA主教会の出来事に遡ります。10月8日(金)夕食の時、この日に誕生日を迎えたマレーシアの主教夫人をお祝いしました。マレーシアのサバ教区の補佐主教が、夫人のために「・・・・・・どうか、最大の支援者として主教の働きを支えてくださいますように・・・・・・」と祈りました。支援者という意味について談義しているとき、シンガポール大主教夫人が、「主教夫人というのは、夫である主教に、言動に問題点があるとき、その間違いを指摘する人(complainer)でなくてはならない。何故なら、主教に対しては、聖職・信徒が注意したくても、黙っているからだ。」とおっしゃいました。これこそ、主教の働きを支える人として立つために求められている、主教夫人の最大の貢献でしょう。
  牧師も、信徒である妻に対して、教会の奉仕者としての言動を注意深く見守る必要があります。教会の色々な奉仕を一手に引き受けて、それが牧師夫人のアイデンティティーと思っている人がいるとすれば、大きな間違いです。信徒をお客さま扱いにしてしまい、信徒も、そのような奉仕が牧師夫人として当然だと思ってしまうからです。牧師夫人の教会への奉仕は、他の信徒も巻き込む必要があります。それによって、共に奉仕の喜びを分かち合うことが出来るのです。これをこの度の聖婚披露宴の挨拶としました。
  穏やかな初秋の光が木々の間から差し込んだ、大聖堂中庭で行われた披露宴は、和やかな内に宴が閉じられました。與賀田司祭ご夫妻の、高知聖パウロ教会における宣教・牧会活動が、この結婚によって活性化することを期待します。