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主教からのメッセージ

アンデレ便り7月号:東日本大震災報告

2011年7月1日

 日立ボランティアセンター終了、いわき市に移動

 神戸教区第Ⅱ期東日本大震災被災者救援活動は、4月から6月末までの約3か月を期限とし、日立聖アンデレ教会を基地にして、京阪神聖公会3教区協働で実施しました。6月、仙台で開催された主教会で、3主教が、7月以降の救援活動の方向性を協議した結果、ボランティアセンターの機能を日立からいわき市に移動させることを決定しました。
 北関東教区広田主教はじめ、聖アンデレ教会牧師斎藤秀樹司祭、信徒の皆さまには、センター運営のためにご支援、ご協力してくださり、深く感謝いたします。
センター開設以来、今日までボランティア登録数は120名を上回りました。ボランティアに駆けつけた人たちは、センターで寝食を共にしながら、毎朝、いわき・日立の被災地域の家屋の清掃、道路整備、避難所の傾聴などの奉仕に精を出し、被災者の苦しみ、悲しみを分かち合い、心の交流を通して多くのものを学ぶことができました。

 6月30日(木)午前10時半、日立聖アンデレ教会で、感謝聖餐式を執り行い、東日本大震災逝去者のために祈りを献げ、関係者各位のご協力を感謝します。式では、センター長を勤めあげた、木村幸夫司祭(大阪教区)、藤原健久司祭(京都教区)、瀬山会治司祭(神戸教区)が、それぞれの時期、立場から感想・評価などを述べることになっております。
いわき市で、どのようなかたちでボランティアセンターを運営するかについては、その詳細を後日お知らせいたします。
7月1日(金)から、いわきボランティアセンター(仮称)には、米子聖ニコラス教会信徒迫田兄が1か月の予定で、現地調整を行います。引き続き、関係者各位のご協力をお願いいたします。

南三陸町の出来事

 仙台で開催された主教会の中日、車に分乗し、「いっしょに歩こう」スタッフの案内で、南三陸町の被災地を訪れました。東北自動車道を北上し、一般道に降りて海岸に向けて車は走りました。車窓には、のどかな田園風景が広がっております。峠を越え、車が降り坂を進み、しばらくしますと、突然、川下から押し上げられた家屋などの残骸が道路脇や川の左右に放置されております。こんなところまで津波が到達した、その威力に唖然としました。海岸沿いにあった町は、コンクリートの建物をのぞき、全て津波にさらわれ、廃墟と化しております。海岸から1キロ以上は離れているでしょうか、小高い丘に建てられていた、公立の特別養護老人ホーム駐車場で、志津川おもちゃ図書館「いそひよ」代表の鈴木清美さんから、当時の状況を聞きました。

鈴木さんの体験

 「地震が起きたとき、施設の職員は、駐車場にテントをたてはじめました。地震で家屋が損傷し、この場所に救援を求めてくる人たちを想定したのです。しばらくして津波警報が出され、町中の数カ所に設置されていた、防災スピーカーから、高いところに避難するように、呼びかけがはじまりました。
 地震から約30分が経ったでしょうか。海岸右手に粉塵が舞い上がりました。火災が発生したのだと思い、そちらのほうに目を向けてみますと、それは家屋と家屋がぶつかって起こされた土煙だったのです。津波は、(まるで巨大化したブルドーザーのように、)ゆっくりしたスピードで、ありとあらゆるものを押しながら丘の方に向かってきたのです。まさか、ここまで津波がやってくるとは夢にも思いませんでしたが、実際、目の前に迫ってきたのです。
 必死になって、作業所の子どもたちと、建物の裏側に逃げましたが、あっと言う間に水に飲み込まれ、体が浮き上がりました。無意識に、二階の樋を掴んでもがいておりますと、奇跡的に水が引いて助かったのでした。」

 防災対策庁舎を訪れました。今回の大津波で、最も有名になった場所の一つです。この建物から、町の危機管理課職員遠藤未希さんは、冷静な口調で、「6メートル強の波があります。早く逃げてください。」と、防災無線放送のマイクに向かって早く避難するよう町民に呼びかけました。その津波は容赦なく庁舎を襲い、遠藤さんは水に飲み込まれて、絶命しました。
 大津波で鉄骨の骨組だけが残った建物の地面には、花や折り鶴が献げられ、ここで亡くなられた方々の冥福を多くの人が祈ってきました。

従業員、全員の命を救う

 少し離れたところに、蒸気機関車が道路を塞いでおりました。その向こうには4階建の高野会館があります。
 津波が襲ってきたとき、この建物には約330人がおりました。津波が来ることを聞きつけた利用客は、会館を出ようと1階ロビーに殺到したのですが、出口には従業員が大手を広げて行く手を遮り、「生きたかったら、ここに残って下さい。」と叫んだのです。
 地震発生時、3階の宴会場では、老人クラブによる「高齢者芸能発表会」の閉会式が行われておりました。地震の揺れで、出席者はパニック状態に陥っていたのですが、お年寄りの足では、安全な場所にたどり着くまでに津波に巻き込まれると、従業員は判断したのです。
 最高齢者は90代後半、平均80歳前後の人たちを、従業員などが必死になって屋上まで誘導しました。しかし、屋上にはすでに水が押し寄せ、普段、人が入らないエレベーター室や効果水槽がある、建物最上部に人びとを誘導し、全員、助かったのでした。 

 大津波から3か月後、志津川中学校で行われた犠牲者追悼式典で、佐藤仁町長は「あの日からあっという間に3か月が過ぎました。これからどんな壁にぶち当たろうとも必ず美しく活気あふれる南三陸町を取り戻しましょう」と涙をこらえながら挨拶されました。