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主教からのメッセージ

アンデレ便り2月号:聖公会長田センター

2012年2月1日

阪神・淡路大震災17年目の朝を迎えた。地震発生時間、5時46分は、主教宅から教会に向かう途中で、車を道路脇に停車し、1分間の黙祷を献げた。
  6時半、朝の祈りを献げているころから、騒音が聞こえだした。市内上空をヘリコプター数機が舞っている音である。ヘリコプター飛来は10数年ぶりであり、今年が特別な年であることが予感された。

 

聖公会長田センター

 午前10時半からの大震災逝去者記念礼拝を神戸聖ヨハネ教会で守った。お話は吉村誠司氏。同氏は、東日本大地震発生時、その日のうちに車で大震災現場に駆けつけ、今日まで救援活動を幅広く実施している方で、阪神・淡路大震災の時は、被災者救援組織「神戸げんき村」の副村長であった。東日本復興は、彼のように、タフなボランティアの支援なしには、達成することはできないであろう。
  礼拝後、かつての聖公会長田センター近くにある、御蔵公園に立ち寄った。小さな公園入り口には、震災から6年目の2001年に建立された震災慰霊碑があった。5時46分には、ここに御蔵地域の人たちが集い、犠牲者のために祈りが献げられた痕跡が、地面に並んでいる、ろうそくによってわかる。
  被災者救援のため、聖公会長田センターが御蔵町に立ちあげられたのが1996年4月で、その活動は4年間続けられた。しかし、どのようなかたちで神戸教区が長田地域復興に寄与できるかの展望が開かれないまま、センターを閉所してしまったことが悔やまれてならない。

 

1.17と3.11

 御蔵町を後にして、市役所南の東遊園地公園を訪れた。「慰霊と復興のモニュメント」の池では、関係者が手向けた菊の花が浮かんでいる。広場では、地面に並べられた竹筒の多くに、ろうそくの火が灯されており、その前に、しゃがんで手を合わせ、大震災で犠牲となった身内や友人に思いをはせながら祈っている多くの人たちを見かけた。その竹筒には、東日本大震災地域から寄せられた、阪神・淡路大震災犠牲者への祈りや、東日本地域の、一日も早い復興を願う言葉が書かれていた。
  公園北側階段には、ところ狭しと、多くの人たちが立っている。興味がわき、近づいてみると、階段下には、青森から運ばれた雪の小山があり、階段上部にはテレビカメラの砲列が、何かを捉えようとしているのであるが、カメラが指す方向を見ても、それらしき重要人物は見当たらない。しばらくすると、市の職員とおぼしき人の、「2時46分に黙祷を献げますのでしばらくお待ち下さい。」という声があり、ようやく、人だかりの意味を理解できた。
2分前から、スピーカーを通して時報が流れ、2時46分には、東日本大震災犠牲者のために、
 共に祈りを献げた。黙祷が終わると、中年の男性が、お辞儀をしながら大きな声で、「皆さん、ありがとうございます。ありがとうございます。」と感謝の意を表していた。夜のニュースで知ったが、東北の被災地から来られた方であった。この日、東日本被災地から、多くの人たちが神戸を訪れていたのである。
 東日本では、大震災被災者の多くが仮設住宅で生活しているが、1997年の阪神・淡路大震災仮設住宅の状況を、当時の原稿に基づいて紹介したい。

 

西代仮設住宅の惨状

 阪神・淡路大震災から2年半の歳月が流れ、どこを見渡しても震災の痕跡を見つけることが難しいほど、神戸の街はきれいに復旧されました。しかし市内外の公園には、肩を寄せ合うようにプレハブの仮設住宅が軒を連ねております。最近、公営住宅への転居者が目立ち、仮設住宅の統廃合が進んでいるといいましても、約2万世帯の人たちがひっそりと暮らしております。居住者のうち、高齢者と病弱者が半数を優に超え、孤独死は174名で、6日に1人の割合で死者を出していることになります。
  先日の夕方、聖公会長田センター礼拝の時、長田区西代にある仮設住宅の世話人Nさんにお話を伺いました。
  西代仮設住宅では独り暮らしが99名、2人が99世帯など、計200世帯、307名が生活しており、今まで27名がここで息を引き取りました。毎回、死亡したことを市役所に知らせますが、役人の誰一人、線香をあげには来ません。亡くなられた方と遺族のほとんどは貧しく、人並の葬式を出すことは不可能です。従って葬儀は仮設の集会所で営まれるのです。
  「仮設住宅の存在は日本の恥部」とNさんは叫びます。行政といえば、一日も早く仮設から出ていくよう、住民を追い立てるのです。出て行こうにも、一軒家を借りるほどの蓄財はないし、職もない。公営住宅の抽選に当たっても手放しには喜べません。敷金を払うのも難しいし、そこに引っ越すにもその費用がない。これに加え、このような所で2年半も暮らしていると、心のほうも歪んでしまい、つい疑心暗鬼となって率直に人の言葉を受け入れることが出来ず、争いが絶えない状態です。一体誰がこの人たちに向かって、「今は辛いけれども、明日はきっと明るくなりますよ。頑張って下さい」なんて声をかけられますか。
  先日もある人が、「生きていて何かいいことあるんかいな。もう死んだるわ」と吐き捨てるように言い、言葉の通り、次の日、首を吊って死んでしまいました。このような時にこそボランティアの援助が必要なのに、震災時92もあった組織は現在では僅かに2つ。「喉元過ぎれば暑さを忘れる。」ということわざ通り、サーと潮が引いたようにボランティアの人たちが姿を消し、援助を求めようにも、相手がいないという有り様なのです。」

 これが、大震災後2年経った神戸の現状であった。阪神・淡路大震災後に起こった様々な出来事を十分に検証し、当時の問題点を明確にしつつ、被災者への、より適切な救援活動が東日本に求められている。