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主教からのメッセージ

アンデレ便り4月号:十字架の恵み

2012年4月1日

 十字架物語に登場するキレネのシモンという人は、たまたまそこに居合わせていたというだけで、ローマ兵の命令により、イエスの代わりに十字架を無理に担がされ、イエスと一緒にゴルゴダまで歩かされた人物です。シモンは、「運が悪かった。どうして自分がこんな目に遭わなくてはらないのか」と、当初、嘆いたことでしょう。程度の差こそあれ、私たちが背負わされる人生の重荷は、思いもよらない形で、とても納得できないような形でのしかかってきますからシモンの心情も理解できます。ところが、不思議なことに、キレネ人シモンは後に洗礼を受け、キリスト者になりました。
  私たちの周りには、多くの問題が山積みにされ、放置されております。それらを適切に仕分けして一つひとつを精査し、忍耐をもって解決に導くために、それに相応しい人物を神は探し求めているのです。そして、これと思った人物に照準を合わせますと、ヨナに見られますように、いくら逃れようとしても、神は後から追っかけてきます。シモンの場合、自分に課せられた重荷が、神からくだされた命令であることを知るに至ったとき、十字架を担いだことを「強いられた恵み」と理解したのです。「強いられた恵み」とは、イエスの十字架の苦しみを自分の苦しみとして捉えることを通して、私たちの魂が豊かにされることを意味します。

聖公会の多様性を垣間見た4日間

 東南アジア聖公会ボリー大主教とは、4年前のランベス会議で、毎朝、聖書研究グループで一緒になりましたが、着座式には、同じグループに属していた、ジョン・ストロヤン主教(英国聖公会コベントリー教区補佐主教・Bishop of Warwick)も招待されていました。私は、ストロヤン主教を、同じく、聖研グループの一員であったアメリカ聖公会オリンピア教区グレゴリー・リッケル主教と勘違いしました。オリンピア教区は、神戸教区と深い関係にありました。敗戦後の教会と神戸地域復興のため、同教区主教がしばしば神戸を訪れ、財政的に支援を実施し、八代斌助主教が神戸市の教育委員であったとき、神戸市はシアトルと姉妹都市を提携しました。
   「主教さん、ランベス会議以来ですね。ところで、私の甥夫婦は今、シアトルに住んでいます。神戸教区出身の竹内というお医者さんが、約1年間、シアトルの大学付属病院に、海外研修に赴く予定です。病院は、シアトルの高台にあると思うのですが、その病院、ご存じありませんか。彼のために、よい教会があったら紹介してください。」「???」。「と
 ころで、主教さんのお住まいはどこですか。市内ですか。」「バーミンガムの近くです。」「エー、バーミンガム???」 シアトルの近くにバーミンガムという町があったのでしょうか。とんちんかんな会話をしているうちに、大主教着座式が開始され、話は中断されました。
  3時間以上を費やして着座式は終わり、ホテルで祝賀会が午後8時半より開催されました。祝賀会の半ば、ボリー大主教に、お祝いのプレゼントを贈呈する時間がきました。約30名以上の列ができたでしょうか。私も日本聖公会を代表して、一言お祝いのことばを述べました。ストロヤン主教の番になり、ボリー大主教が、彼を紹介して初めて、人違いであったことがわかりました。後から、主教に、「リッケル主教と勘違いしました。すみません。」と謝りますと、「私のアクセントはアメリカ人のそれとは全く違いますよ。」とおかんむりでした。
  祝賀会は午前零時前にお開きとなりましたが、翌朝、7時30分の飛行機を逃しますと、広島訪問予定のショーリー総裁主教に会うことができません。午前1時前に就寝、4時過ぎに起き空港へ。13日(月)夜、成田空港着。神戸に帰ることがかなわず、羽田空港近くのホテルに一泊。朝8時の飛行機に乗り込みました。ところが、広島空港周辺は霧に覆われており、最悪の場合、名古屋か福岡に引き返すとのアナウンス。幸か不幸か、飛行機が着くころにはすっかり霧は晴れ、無事到着。11時前、広島駅にバスで到着し、新幹線口に行きますと、ショーリー総裁主教一行とばったり会うことができました。広島復活教会で歓迎昼食会が催された際、ショーリー総裁主教に、ヒロシマ・ナガサキの原爆の悲惨さを訴え、福島第一原子力発電所のメルト・ダウンによって明らかになった、原子力平和利用が幻想であったことを述べ、自然エネルギーを用いての発電の必要性を訴えました。
  午後、広島平和資料館館長・スティーブン・リーパー氏との面会に同行しました。25年前、広島復活教会の主日礼拝でお目にかかって以来ですが、先方は何も覚えておりませんでした。洞爺丸事件のとき、救命胴衣を付けずに泣いていた子どもに自分の胴衣を譲り、亡くなったデン・リーパー宣教師のご子息です。
  「広島に落とされた原子爆弾は15キロトンです。もしも1メガトン(火薬1キロトンの千倍)の原子爆弾がどこかの都市に炸裂した場合、それによって地球は壊滅的な打撃を被るであろう。空中に舞い上がった原子雲は、気流に運ばれて全世界を覆い、太陽光線が遮られて食物が育たなくなったり、放射性物質に汚染され、人間に大打撃を与え、信じられない数の人たちを死に至らしめる。広島の原子爆弾はオモチャみたいなものだ。」とおっしゃった館長の言葉が耳に残りました。資料館見学の後、国際会議1階ロビーに展示されている「和解」の像を見ました。ジョセフィナ・デ・ヴァスコンチェロス氏の作で、第2次世界大戦終結から50年を経た1995年、平和の証として英国コンベントリー市民を代表し、バージングループ会長のリチャード・ブランソン氏が、ナチス・ドイツの爆撃により破壊されたコンベントリー大聖堂と広島に寄贈したものです。
  ショーリー主教は、「かつて私がネバダ教区主教であったとき知ったのですが、戦前、コベントリー大聖堂から大聖堂の石が鉱山地域にある教会に寄贈されました。当時、ネバダ州には、コベントリー地域から沢山の人たちが鉱山で働いていたからです。」 石の寄贈を受けたのは1936年のことで、ネバダ州ミンデン市にある、コベントリー十字架教会(Coventry Cross Episcopal Church)のことでした。今年5月、神戸バイブル・ハウス巡礼団はコベントリー大聖堂を訪れますが、私はストロヤン主教との再会を楽しみにしております。