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主教からのメッセージ

アンデレ便り4月号:「死の陰の谷を歩んでも」

2013年4月1日

 東日本大震災2年目を記念して製作されたNHKスペシャル「わが子へ~大川小学校 遺族たちの2年~」を見ました。河口から4キロに位置する石巻市大川小学校は、大津波によって児童108名の内74名、教職員10名の命が奪われるという大惨事となりましたが、津波犠牲者の遺族たちのその後を追ったドキュメンタリーです。

大川小学校の悲劇と真相究明

 大地震発生時、小学校では多くの児童は教室におり、机の下に身を隠しましが、3分後に大津波警報が発令されました。下校を始めていた一部の児童も学校に戻り、10数分後、児童が校庭に集合し、先生が点呼を取り始めました。その後、先生たちは避難場所の検討を開始しましたが、学校の裏山は急斜面で足場が悪いということもあり、結局、約200メートル西側にある新北上大橋のたもとを目指すことに決めました。高さは堤防や校舎の屋根とほぼ同じところです。校庭から列になって釜谷交流会館の脇を通り、裏山沿いの裏道を歩いたところで、大津波に襲われたのでした。校舎に残る3つの時計は、いずれも3時37分を指したままですから、地震から津波到達まで、恐らく40分から50分あったと思われます。
  4年生は、先生と児童13名が亡くなりましたが、その先生の両親は、悲しみの声をあげることができず、ひっそりと暮らしてきました。「息子が子どもたちを助けられなかったのは事実ですから、その気持ちはどこまでも持っていかないといけない。」と涙ながらに言います。畑では、葉ぼたんを育てており、毎年寒い季節になると、自宅の周りに飾ってきましたが、息子さんが亡くなってからは、墓前に供えるようになりました。
  一方、市教委の調査に疑問をもつ遺族は、真相究明を訴える記者会見を開くことにしました。ところが、大川小学校5年生の娘をなくした中学の教師は、記者会見に出席するかどうか悩みました。「学校は、子どもたちにとって安全で安心する場所でなければならない。そのために当時の事実を明確にすべきである。」とは思っていたのですが、同じ教師を責めることになりはしないかを危惧したからです。しかし、娘が犠牲になったことを思う時、出席することにしました。
  席上、「先生たちに何の怨みもないが、市教委が遺族にいいかげんな説明をしたことが許せない。黒い波にのまれていった子どもたちのつらさや恐怖を思えば、大人が、親が、立場的につらいんだという、それを理由にして(真相究明を曖昧にして)はいけないと思った。」と自分の心境を出席者に披露しました。
  次の日、5年生担任の母親は「先生を怨んではいません。」という新聞記事を見て、これを息子に報告しました。「助けられなかったということに負い目を感じていたんですけれども、やっぱりうれしかったですね。」

死者がむち打たれる苦しみ

 先生の両親が震災以来常に懐に入れて持ち歩いているものがあります。4年生の集合写真です。息子から、しばしば学校のことを聞いておりましたから、両親は18名の子どもたち全員の名前を知っているのです。震災からしばらくして、新たに知り合った人がいます。津波で自分の畑が流され、隣りの畑に移ってきた、安部芙美子さんという方です。安部さんも2人の孫を亡くしました。出会った頃はお互いが遺族であることは知らず、挨拶を交わす程度でしたが、そんなある日、夫婦が持ち歩いていた集合写真が安部さんの目にとまったのです。その写真のなかに、5年生になる孫の写真がありました。その後の会話から、安部さんは、ご夫妻の複雑な胸の内を知るようになりました。「(私は)家族を亡くしたんだけれども、また別の苦しみがあったのやね。だけど亡くした家族はみんな、気持ちは一緒だと思います。」
 冬がやってきて、葉ぼたんが色づく頃、安部さんは夫婦に、育てた葉ぼたんを大川小学校に飾らせて欲しいと頼みました。快く引き受けました。ロビー入口に、手作りのひな壇が作製され、それが飾られたとき、「これで孫と先生が一緒になった。あっちにいってなかよくやってほしいね。」と安部さんはつぶやきました。月命日の前日、こっそりと夫婦が学校にやってきました。
  「かえって、ここに飾ってよかったね。これはまるで子どもたちの記念撮影のようだね。」
  愛する者の死は、生きている者に喪失感を与え、多くの人が苦しみます。詩編23編の作者は、このような状態を指して、「死の陰の谷を歩む」と表現しました。その歩みのさなかで、大川小学校4年生の集合写真や、娘を亡くした中学校の先生の言葉が縁となり、これが絆となって、愛に根ざした人間関係が育ち、多くの人たちの魂が救われたのです。

成長を放棄した、いいおとな

 神戸の聖ミカエル保育園では、保育修了証書を園児が受け取る前に、大人になったら何になりたいかを発表することが慣例となっております。毎年登場するのが、サッカー選手、電車の運転手、ケーキ屋さん、保母さんなどですが、今年初めて、お笑い芸人になりたいという園児が2名登場し、式場を沸かせました。
  イエスは「心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」とおっしゃいましたが、子どもは一様に、夢と希望を抱きつつ、大人になりたいと願っているのです。ところが、年を経る毎に、様々な理由で夢や希望が砕かれ、意欲も萎えてしまい、大人になりたくない子どもとなってしまうのです。
  イエスが言われた「子どものようのならなければ」という意味は、40才や50才、そして私のように、前期高齢者に達しても、子どものようになって、年齢以上の人間に成長する必要があるということです。一人前の大人になったつもりで、年下の人間の弱さや弱点を矯正させるため、あやふやな道徳や倫理基準を武器にして、教育的指導を施してしまうと、ますます、若い人たちのやる気を削いでしまう結果となります。
  「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と言うイエスに対して、ニコデモの、「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」という常識論では、イエスがおっしゃった、新生の深い意味を理解することができないことを、自戒を込めて認識する必要があります。