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主教からのメッセージ

アンデレ便り7月号:おかずよりパンジーの花

2013年7月1日

 聖公会の礼拝において、信仰を表現するうえで、音楽は大変重要な役割を果たします。一方、経済や社会情勢が悪化しますと、最初に切り捨てられる運命にあるのが芸術であるというのは、大東亜戦争で実証済です。芸術に没頭する者は非国民呼ばわりされました。ところが、今日においても、このような信仰が根強くあるようです。

  「イメージを読む」という本のなかで、若桑みどり氏が千葉大学で教えていた時の、ショッキングな経験を語っております。
  「電車のなかで工学部の学生に会ったのですが、彼は私にこういいました。『先生は気の毒な人ですね。芸術なんてあんなに役に立たないものを研究しているのですから』。私はそのまえまで芸術大学に34年もいたものですから。あまりのカルチャーショックに目がくらくらしました。・・・・・・この学生は芸術というものは社会や政治や経済や技術など、人類の歴史を動かしている根本的な機構とは無関係なひま人のお遊びだと思っている、ということはたしかなことでした。」
  イソップの寓話「アリとセミ」を思い出します。
  冬のある日の事です。アリたちは貯めてあった穀物が湿ったので、家の外で乾かしていました。そこへ、お腹を空かしたセミがやって来て、「何か、食べ物を下さい」と、頼みました。アリたちは、「あなたは、どうして夏の間に、食べ物を蓄えておかなかったのですか?」 「ひまがなかったのです。きれいな歌を歌うのに忙しくて」 アリたちは、せせら笑って言いました。 「なるほどね。しかし、夏の間、歌を歌っていたのなら、冬は踊りでも踊ったらどうです」

  何はともあれ、「衣食足りて礼節を知る」ことが優先され、芸術は後回しなのでしょうか。
  兄弟が8名で、お婆ちゃんも一緒に暮らしていた下関時代の出来事を、津口和子元伝道師から伺ったことがあります。私が小学校時代の出来事です。
  ある日、お袋が親父に、夕食のおかずを買ってくるように頼みました。ところが、道の途中で何を思ったのか、おかずの代わりにパンジーの花を買ってしまい、それを庭に植えたというのです。
  親父がなぜ、おかずの代わりにパンジーを買ったのか、長い間、全く理解できませんでした。しかし、最近になって、親父の心情がわかるような気がしてきました。
  極端なはなし、おかずなしでも、ご飯さえ食べることができれば、問題はありません。それで、餓死することはないのです。おかずは食べてしまえば消滅しますが、パンジーの花は数ヶ月は咲きます。それを眺めることによって、心が豊かにされることのほうが、人間としてより必要なことなのだ、との思いが親父にあったようです。
  そうはいっても、お袋は大変です。「こんにちわー、集金に来ました。奥さんはいます か。」との声を聞くやいなや、お袋は奥の部屋に逃げ込んでしまいます。対応に出た私たちは、「すみません。お母ちゃん、出かけていません。また来てくさい。」と何回、米屋を撃退したでしょうか。

  「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。・・・・・・野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」                  (マタイ6章25節以下)

小名浜ボランティアセンター終了

 京阪神3教区の被災者救援活動は、京阪神から見れば、アウトリーチの教会活動であり、被災地の教会の方々にとりましては、震災前では考えられなかった、自分たちの教会以外の人たちを長い期間受け入れるかたちでの活動であった、といえます。
  教会とひと言に申しましても、信徒・教役者の歴史的背景や習慣、それに基づくスタイルは異なっておりました。ボランティアに参加された人たちの信仰のありようや、参加の動機も異なります。ある人たちは、被災者のために、自分がもっているものを提供し、それで相手が喜んでいただけるのではないか、との思いがあったと思います。反対に、自分には差し上げるものは何もないけれども、被災者のために何か出来るのではないか、という思いで参加された人もいたことでしょう。命じられて、しかたなしに来た、という人も若干名いたように思います。そのような人たちが寝食を共にしますと、当然、軋轢が生じます。しかし、避難者のある人たちから見れば、聖テモテ・ボランティアは、光輝く人間に写りました。現実には、弱さや脆さを兼ね備えた、普通のキリスト者が被災者の傍らに立ったのです。
  今回の震災で盛んに言われておりますキャッチフレーズは「絆」です。絆を大切にし、これを強いものにして復興しよう、という意味がそこに込められております。私個人の見方としては、絆以前に、縁があっての活動であったとの印象を持ちます。今までの人生のなかで、縁があった人たちが、被災地にかけつけてくださったのです。この縁を通して、更に強い絆が生まれ、その輪が次第に教会・教区を乗り越えて全世界に拡がっていく性質のもので、それを「愛情の絆・Bonds of Affection」と表現します。
  小名浜ボランティアセンターは、聖公会宣教指標の第三番目、「愛の奉仕によって人間の必要に応えること」を教会、教区を乗り越えたかたちで、今日まで実施してきた、このように評価できると思います。
  小名浜の活動は、管区の「原発と放射能に関する特別問題プロジェクト」と連携させながら、今後とも実施されていくことが期待されます。このことは、3番目の指標に加え、5番目の指標、「被造物の本来の姿を保護するように努め、地球の命を支え、新たにすること」を宣教の目標とすることになります。
  新しく衣替えしようとする活動に多くの人たちが以前と同じように関わり、神さまの祝福と導きをお祈りもうしあげます。
   (6月4日・小名浜ボランティアセンター終了感謝礼拝説教より)