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主教からのメッセージ

アンデレ便り2月号:20年の進化

2014年2月1日

 興味は全くない方もおられると想像しますが、今月は、サッカーについての話題を取りあげたいと思います。私がサッカーと出会ったのは40数年前にさかのぼり、英国ケラム神学校に遊学していたときです。学校での冬のスポーツはサッカーで、外国人留学生チームの一員として毎金曜日の午後、ゲームを楽しみました。

20年の進化

 当時、英国サッカーのスーパースターはマンチェスター・ユナイテッドのジョージ・ベストで、北アイルランドの首都・ベルファースト・シティー空港の名前にもなっているほどの有名人なのです。ちなみに、C・S・ルイスも北アイルランド人が自慢する一人です。私は1972年に帰国しましたが、それから21年後の1993年にJリーグが発足しました。
  1月12日(日)、主日礼拝に出かける前、午前8時からのサンデーモーニングを見ておりますと、かつてサッカーJリーグ・チェアマンをしておられた川渕三郎氏がスポーツ解説に登場しました。本田圭佑選手がイタリアセリエAのミランに入団が決まったことについて、「20年前、Jリーグサッカー関係者の一体誰が、日本選手が当時世界最高峰のセリエAチーム・ミランの、しかも、背番号10番を獲得して入団することを予測したでしょうか」と述べ、「サッカーそのもののレベルも含めて、たった20年間でこれだけ発展したリーグは世界中どこを探しても見当たらない。ほとんどゼロの状態から始まったJリーグの成長は驚異的であると、世界各国から高い評価を受けています」とコメントしておりました。

柿谷選手の挫折

 日本サッカー界にあって、最も期待される選手の一人が、柿谷曜一朗選手です。昨年11月30日、大阪長居スタジアムでの鹿島アントラーズ戦でのことです。ゴール前、右足でボールを浮かし、シュートコースを遮ろうとするディフェンダーを左にかわして、落ちてくるボールをダイレクトに右足でシュートしてゴールを決め、これがJリーグの最優秀ゴールに選ばれました。
  柿谷選手は、早くから「天才」の呼び声高く、2006年に若干16才でセレッソ大阪とプロ契約を結びました。入団のとき、「ぼくがボールをもっていたら、是非期待してください。」と大見得を切りましたが、入団同期の香川真司選手(現マンチェスター・ユナイテッド)が結果をだす傍ら、思った通りのプレーができなくなり、次第にやる気をなくして、寝坊して遅刻を6回繰り返しました。これがクルピ監督の逆鱗に触れて、徳島ヴォルティスに期限付き移籍となり、天才児が一転、問題児となりました。当時の美濃部直彦監督(現長野パルセイロ監督)は「香川は点を獲りにいくプレーのなかで高い技術を使って、結果を 出した。でも、曜一朗はその局面で相手を抜くためだけに技術を使っているから、結果が出ないんです。」 1点を争うゲームでペナルティーキック(PK)を蹴って外しているにも拘わらず、守備につこうとしない柿谷に対し、「PKを外したことはどうでもいいんです。でも、外したあとで、チームのためにやるべきことがある。サッカーは1人でやってるんじゃない。お前のミスはみんながカバーしてくれるし、みんなのミスはお前がカバーしないといけない。当たり前のことなんですが、最初の2年間はそんな言葉を何度もぶつけました。」
  1997年にJリーグのガンバ大阪に移籍してきたカメルーン出身のエムボマ選手を万博記念競技場で見ました。ところが、エムボマ選手は、味方が自陣で攻められている時でも、防御に加わらずに前線でじっと待機しているのです。ロングパスなどをエムボマ選手が受けて、それで得点するという戦術が、当時では通用したのです。しかし、これでは、サッカーファンは満足するはずはありません。

チーム力と教会の宣教

 2年半後の2011年秋、柿谷選手は古巣に戻ってきますが、指揮を執っていたセルジオ・ソアレスが成績不振により8月途中で解任され、後任監督には、運命のいたずらなのでしょうか、一度は袂を分かったクルピ氏も復帰したのです。ところが、監督復帰を祝うかのように、監督初戦となった第24節アルビレックス新潟戦で決勝点を挙げてチームを勝利に導いたのは柿谷選手だったのです。試合後、決勝点について問われたクルピ監督は、「特別な思いがゴールの瞬間によぎった。彼がプロ2年目の時に私が監督に就任したわけだが、言ってみれば、彼はかわいい息子。かわいい息子であるがゆえに、過ちを犯した時には正しい道に導く必要があった。今日のように一皮剥けて成熟したプレーを見せてくれて本当にうれしく思う」とコメントし、両者の、サッカーに対する方向性や視点が合致した、歴史的な瞬間となりました。実は、柿谷選手は復帰後すぐに監督に会い、今まで自分がどれだけサッカーをなめていたか、自分が満足するだけのプレーをしていたかを心から詫びたのでした。
  「チームプレイのなかで個を活かす。個が前線にいる場合、最大限、『個の力』を発揮して、一対一の局面で勝てなければ、11対11の勝負に勝てるはずがないのです(釜本邦茂)。」これが、将来に向けて日本サッカーが突きつけられている大きな課題なのです。  サッカーと同様、キリスト教宣教活動も、教役者・信徒が一丸となっての協働作業を通してしか、実を結ぶことができません。
  聖パウロはフィリピの教会信徒に対して、「一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っている。(1:27)」と述べております。当時のフィリピの教会には、自己中心や虚栄からものごとを推し進める信徒が多数存在し、福音宣教者のなかにも、「自分の利益を求めたり、ねたみと争いの念にかられてする者(1:15)」もおり、それが教会の不一致の原因となりました。
  パウロは、「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払(2:1ff)」い、愛をもって仕える者とならなければ、教会の一致はないというのです。この一致によってしか、神を知らない人びと、不信仰の世界にキリストの福音を伝える勇気と信仰が芽生えてこないのです。