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主教からのメッセージ

アンデレ便り2月号:阪神・淡路大震災20年

2015年2月1日

 教会の牧師、特に、信徒数の多い教会の牧師は、常に死と直面しております。私の場合、主教になる前のミカエル教会牧師時代の5年間、53名の信徒を神の御許へお送りしました。死者と生者の狭間に生きる職務を担っているのは牧師だけではありません。お坊さんやお医者さんもそうです。

 

死の受容と死者への追憶

 私は、県庁前の鴻山医院に2週間に1回、血圧の薬を貰いに行かなければなりませんが、午後遅くの待合室に誰もいないときなどは、先生と30分くらい四方山話で暇をつぶすことになります。人の死に話が及んだとき、先生は「人間、死んでしまったら、何も持っていくことはできません。年を取って、何をあくせくして生きる必要があるのでしょうか」とよく言われるのです。老いに象徴されますように、いのちは年月の経過と共に多くのものを運び去っていきます。今の状態が失われることへの恐れから、物事への執着が起こるとイエスは言われます。「自分のいのちを得ようとする者は、それを失う(マタイ10:39)」のです。常に死を意識しながら今を生きる姿勢を持続できそうにない私にとって、血圧は、執着心を測るバロメーターなのです。
  今年は阪神・淡路大震災20年、戦後70年という節目の年です。アジア・太平洋戦争では多くの命が失われ、日本は名実共にゼロからの出発を余儀なくされました。
  映画監督の大林宣彦さんは朝日新聞のインタビューで「敗戦後まもなく、東京の隅田公園に戦災者のための慰霊塔を建てる計画があったのに、東京都がGHQ(連合国軍総司令部)の命令で許可しなかったことを報道で知りました。理由は国民に戦争を忘れさせたいから。1945年3月の東京大空襲では、約10万人が犠牲になりました。戦争を覚えている限り、アメリカを憎むことになる。だから塔を建てるな。できうれば戦争はなかったことにしろ。そんな空気が歴史をしらない世代を生み出し、日本を迷走させる原因になった。」と述べております。

大震災超教派礼拝

 昨年7月1日、兵庫県基督教連合会理事会が開催された折、来年大震災20年を迎えるにあたり、他宗教の方々と共に震災犠牲者を追悼する礼拝をもてないだろうかという提案がありました。しかし、各宗派の人たちは一堂に会して祈ることに消極的であるとの報告が事務局からあり、代案として、県下のキリスト者が集い、エキメニカル礼拝を1月11日(日)午後3時から神戸聖ミカエル大聖堂で実施することで意見の一致を見ました。この礼拝は、兵庫県のキリスト教界にとって初めての試みであり、予算は皆無です。半強制的に、理事やこれに賛同する教団や個人に献金を募り、どうにか20数万円をかき集めることに成功しました。
  「天地創造」「人災・天災ですべてを失ったヨブの苦悩」「イエスの苦しみの死と復活」 「新しい天と地」をテーマにした4つの聖書日課は、各教会から選出された8才から80才までの信徒が朗読し、「阪神・淡路大震災、わたしたちの祈り」は、今年20才になる関西学院神学部の学生が協力し、司会は松蔭高等学校放送部が担当し、松蔭中高のコーラス部、聖ミカエル大聖堂聖歌隊有志、そして、松蔭室内合唱団とバッハ・コレギウム・ジャパン神戸の合唱団を母体に、鈴木雅明氏により結成された声楽アンサンブル、ヴォックス・フマーナが合唱を担ってくださいました。このようにして、礼拝奉仕者は総勢約80名を数えました。
  ところが同じ日の午後、大阪梅田の聖家族教会で、カトリック大阪大司教区主催の震災礼拝が計画されております。最悪の場合、奉仕者だけの礼拝になるのではないかと危惧しましたが、蓋を開けますと、約260名が大聖堂に集い、内心、安堵しました。
  震災時、神戸栄光教会牧師であった北村宗次先生は、説教で「大地震に遭遇した私たちは偶然にも、生き延びることができました。それはきっと神さまが私たちに大きな任務を与えたいため」と述べられました。大震災後、高齢化社会の到来をいち早く予見し、西須磨地域で福祉ネットワーク「西須磨だんらん」を立ち上げた日埜昭子さん(神戸聖ミカエル教会信徒)は「年をとっても住み慣れたところで最後まで自分らしく生ききるため」と題するお話のなかで、「地域の人が皆で支え合い、横につながっている地域こそ豊かな社会といえる」ことを強調されました。
  礼拝後、お茶を飲みながらの話では、大地震の朝、北村先生は、どういうわけかいつもより早く目覚め、ベットから起き上がって別の部屋におり、難を逃れたそうです。先生の教会には、もう一つの奇跡が起こされました。教会の塔屋には神学生が居住していましたが、試験前でもあり、こたつに入って勉強していましたが、そのまま寝込んでしまい、大地震が襲ってきたのです。いつものように、壁に沿って置かれたベッドで寝ていたら、壁と共に下に落下し、下敷きになったかもしれないということです。

聖ヨハネ教会の集い

 神戸聖ヨハネ教会ホールに寝泊まりしていた被災者が去った後、近隣家屋や聖公会関係園の後片付けや、鷹取中学校、西須磨小学校、マリスト国際学校などに避難している被災者のために、神戸教区や他教区の聖職・信徒、立教高校3年生、広島県連盟のシニアスカウトなどが聖ヨハネ教会を基地にして活動しました。
  あれから20年経った1月16日(金)午後6時から、神戸聖ヨハネ教会信徒のおもてなしによって、ボランティアとして神戸に駆けつけた人たちなど40名が集い、夕食会が持たれました。近隣の鳥井さん親子の顔もあります。残念ながら、教会前の千里のおばあちゃんは風邪で欠席、教会隣りの吉岡さんは、老人ホームに入居されて出席できません。
  酔いが回るほどに、20年前のできごとがまるで昨日のように思えてきます。ある司祭など、月曜日に被災地域に入り、金曜日に自分の教会に戻り、月曜日には再度、神戸に舞い戻るという生活を繰り返しておりました。今は亡き中部教区の森司祭は、遠路はるばる、名古屋からオートバイで聖ヨハネ教会に駆けつけ、被災者のために尽力されました。
  翌日、午前10時半より大震災20年記念礼拝が聖ヨハネ教会で挙行されました。20年前、阪神地域でボランティアとして活躍した宮田裕三兄(東京聖マリア教会信徒)は奨励で当時を振り返り、ボランティア活動と人間関係の狭間で苦悩する日々を送ったこと、そのようななかにあっても、神さまは信仰者として大切なものを与えてくださったことなどを話されました。
  震災犠牲者を末永く追悼することは、宗教者にとって最低限求められる務めなのです。