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主教からのメッセージ

アンデレ便り8月号:国を愛するとは

2015年8月1日

 8月は戦争や平和について思いを馳せる時です。今月は、これに関しての、国家のありようについて共に考えたいと思います。
    

 30年戦争の悲惨

 聖歌318番は「いざやともに、こえうちあげて」です。作詞者のマルチン・リンカルト(Martin Rinkart)は、ドイツ・ザクセンのアインレンベルグという町に生まれて牧師となり、この町の大聖堂のアーチ・ディーコンに赴任しました。その次の年の1618年、「30年戦争」が始まりました。
  当時のドイツでは、カトリックとプロテスタント率いる諸侯が二つに分かれて争い、カトリック側にスペインが、プロテスタント側にデンマーク・スエーデン・フランスなどが加わり、そこに政治的利害が加わって、次第に国際戦争に発展していったのです。表面的には宗教戦争のように見えますが、実質は列国の領土争奪戦であったのです。
  ドイツ全土が戦場と化し、町も村も大部分が荒廃し、当時、約1600万人だったと推定される人口のうち、約1千万人が殺されました。死を免れた人たちも悲惨のどん底に落とされました。家は焼かれて路頭に迷いました。  アインレンベルグの町は城壁に囲まれており、安全だと思われたのか、外部から多くの避難民が押し寄せ、町は大混乱に陥ります。しばらくして、スエーデンの軍隊がこの町を包囲したため、飢餓が襲い、その後ペストが発生し、この年だけで8千人が死亡しました。毎日、何十という遺体を埋葬していた牧師たちも病に倒れ、とうとうリンカルトだけが残されました。彼は、毎日、約50の遺体を葬っていったのです。
  町は降伏し、スエーデンの軍は賠償金として3万ドルを要求しました。しかし、お金の持ち合わせはありません。切羽詰まったリンカルトは、仲間と一緒に将軍と直談判し、許しを請いますが、聞き入れてはくれません。彼は仲間に、「この男たちは、苦しみのどん底にある私たちを容赦しない人たちなのです。私たちは神の難民となりましょう。」と叫び、地面にひざまずいて神に祈りました。結局、将軍は要求額を2千ドルに引き下げましたが、賠償金はリンカルト個人が借金して支払ったのです。それによって、一家の家計は火の車となり、家族は食料にも事欠く状態に陥りました。30年戦争が終結した翌年、リンカルトはこの世を去りました。
  30年戦争の最中に作詞され聖歌318番は、人間がどのような悲惨な状況のなかにあり、 悲しみに打ちひしがれ、涙を流す毎日であっても、神に讃美をささげていく信仰がこの歌 詞に見事に表現されています。この曲は「ドイツのテ・デウム(Te Deum Laudamus・賛 美の歌(祈祷書27頁)」と呼ばれ、メンデルスゾーンの交響曲第2番や、米国では「感謝祭」の日に、伝統的にこの聖歌が歌われる由縁となりました。
  多くの犠牲者をだした戦争を集結させ、疲弊したヨーロッパ世界再建のため、1648年に「ウェストファリア条約」が締結されました。これによって、実質的に神聖ローマ帝国が終わりを告げましたが、ヨーロッパ各国の独立と主権を認め、どのような信仰を保持するかも、各国が独自に決定権をもち、他国からの干渉を受けることはないことを定めました。

戦争犠牲者の声を無視する現代の為政者

  そのヨーロッパでは、1914年に第一次世界大戦が勃発して約1千万人の命が失われ、それからわずか25年後には、第二次世界大戦がヨーロッパと東アジアを中心にして起こり、5千万以上の犠牲者を出しました。
  「われわれ連合国の諸国民は、戦争の惨禍より将来の世代を救おうと決意した。戦争はわれわれの生涯の間に二度までも、はかりしれない悲しみを人類にもたらしたからである。この目的を達成すべく、われわれは諸国家が寛容の精神を実践し、良き隣人同士として平和のうちに共存するようにならねばならなぬという結論にいたった。」
  これは1945年に制定された国連憲章前文です。しかし、アメリカとソ連の対立によって鉄のカーテンが敷かれ、国連憲章の精神は有名無実化しました。1990年初頭のソ連崩壊後は、国際社会をまとめあげる存在としてアメリカが台頭しましたが、2001年9月11日、同時多発テロが契機となって、イラク戦争を仕掛けたアメリカでしたが、戦争は泥沼化して、撤退を余儀なくされました。アフガニスタンでの戦闘においても、混迷に輪をかけただけでした。その間、国家・地域を越えたグローバリズムが世界を席巻し、ウェストファリア条約以前の世界に私たちを引き戻していったのです。
  「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
  このように、日本国憲法第9条条文は謳います。しかし、安倍政権は、日本国憲法前文や憲法9条条文からでも、同盟国が攻撃されたとき、一緒に反撃することができる権利、つまり、集団的自衛権を保持できると解釈したのです。同盟国とは明らかにアメリカを指します。安倍首相は、何故、「主権が国民に存する(日本国憲法前文)」のに、「美しい国日本」という幻想を、あたかも実像であるかのように見せかけようとし、他方では、国家の主権を放棄してまでも、アメリカの国家戦略に盲目的に追随しようとしているのでしょうか。
  アメリカの企業を主体としたグローバリゼーションに象徴される、いかなる手段を用いても世界の人的・物的資源を搾取して、富を蓄積しようとする多国籍企業の恩恵にあずかろうとしているのでしょうか。富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなってしまうという、世界の状況に対して警告を発したのが9.11同時多発テロでした。
  残念ながら、「第二次世界大戦後の世界には、いかに戦争の根絶や繁栄の追求を謳おうと、そのための新たな方法論は存在しない」というのが現状なのです。

*本文の多くは、【ウェストファリア条約「宗教戦争の終わらせ方」(佐藤健志著)】を参考にしました。