日本聖公会 神戸教区ホームページです。このホームページにはキリスト教信仰に関わる情報が集約されています。

主教からのメッセージ

アンデレ便り7月号:キリスト者の連帯と平和

2016年7月1日

 3年前の4月、沖縄で開催された第2回世界聖公会平和会議に出席しました。2日目の4月17日(水)は、戦跡や平和祈念資料館などを訪れましたが、ガイドさんは、本土では、誰一人犠牲にならなかったのに、本土の壁となり、住民の4分の1、約20万人が地上戦の犠牲になった沖縄戦の事実や、土地の75%を占める米軍基地について説明がありました。バスには、日本軍によって悲惨な状態に置かれた韓国やフィリピン、オーストラリア、そして敵国のアメリカ、カナダなどからの参加者は複雑な思いでガイドさんの説明に聞き入っていたようです。

良心的な人たちの姿勢

龍谷大学教授の岸正彦氏は痛切に批判します。
 「沖縄の人々の米軍基地を本土に引き取って欲しいという要求に対し、普天間飛行場の辺野古への移転に反対するような『良心的』な本土の人々は、『基地そのものをなくすべきだ』と主張します。結果的に基地は沖縄に固定され続けます。いずれにせよ、本土の人々は痛みを感じずにいられる構造になっているのです。・・・本土には沖縄を愛する人が数多くいます。遊びに行くだけでなく、移り住む人もよく見聞きします。沖縄を好きだといいながら、基地を押しつけていることに罪悪感を持たない本土の人々のありようは『植民地主義』の典型といえます。いわば、沖縄を愛するという形で、差別しているのです。」 (2016.6.23朝日朝刊)
 今、なぜ、憲法改正が声高に叫ばれているのでしょうか。主な要因として、「終戦直後に面前にあった屍のリアリティーがなくなったのです。改憲を唱える安倍晋三首相は戦後生まれで、何百万人という犠牲を前にして誓ったリアリティーを感じられなくなった世代が政治の中枢にいるということなのです。(森本あんり氏)」

桜井亨司祭

2006年10月、東アジア聖公会主教会がミャンマー・ヤンゴンで開催されましたが、会議の途中、私は市内の聖ヨハネ教会で説教しました。礼拝後、高齢の前任牧師が桜井司祭のことを訊ねられました。神父と呼ばれていた桜井司祭に数回、お会いしました。
 桜井亨(たか)神父は横須賀で生まれ、聖公会神学校を出たとき、徴兵をうけて一兵卒として入隊し、盛岡の士官学校に進み、陸軍大尉に任官しました。そして、1944年3月8日、10万の兵士を動員し、連合軍反攻の中心地であるインド・マニプル州都インパールを攻略する作戦に従軍しました。しかし、インパール占拠の目的は達成できず、転進という名の逃亡が開始されたのです。
 桜井神父が属する第28軍約4万人は、英国インド軍の強力な機械化部隊と空軍によって撃破されて3か月の間孤立しましたが、次第に食料も尽き、雨期が重なり体力の消耗が激しく、敵中突破しか選択肢は残されておりませんでした。山中を東に移動しますが、次第に落伍する者も増え、やっと山の上に辿り着き、林のなかで休もうと、すでに木によりかかって休んでい

る兵卒の多くが、その形のまま死に絶えていました。銃弾が飛び交うなか、敵が待機する地帯を突破し、7月15日、川幅が200メートルとなったシッタン河を筏を組んで渡りましたが、多くの兵卒が濁流のなかに消えました。この敵中突破により、4万人の兵は3か月で9千人に減りました。雨期と飢餓と渡河で命を失ったのです。
 戦後、桜井神父は毎年のように、ビルマを訪問し、亡くなった部下に、本当に申し訳ないことをしてしまったことを懺悔し、遺骨収集に協力してビルマとの交流・親睦に努めたのです。
「結局、人生とは生と死の問題である。アルファとオメガ(初めと終わり)が人間には分からない。つまるところ、あちら側(彼岸)の声を聞こうとする姿勢がない限り、生と死のもつ意味はついに分からないであろう。」と桜井神父は述べております。

ロバート・コールマン司祭

コールマン司祭は海兵隊中尉としてサイパン島、テニアン島の戦闘に参加しました。しかし、狂ったように海兵隊員が日本兵を殺戮するのを目の当たりにして、この戦争に大きな疑問を抱き、自分の内面の告白を、妹のベティーに手紙のかたちでしたためました。  
「アメリカ兵は戦争を戦っているのではなく、善を撃退しようとし、善なるものを人間の外に撃退しようとして戦っているのだ。ドイツと日本の悪は、我々の悪でもあるのだ。どうして、敵のなかにある誤りと我々自分の中にある非寛容性、偏狭性、独善性などを選別したり区別したりできよう。」
 戦後、コールマン司祭はジョン・ホプキンス大学で臨床心理学を学びました。敗戦によってほとんどのものを失い、多くの日本人が精神的にも(PDST)問題を抱えているに違いない。自分が宣教師となって、何かのお役にたちたいと思ったのです。その願いが叶い、私の父が司牧する下関の教会に突然やってきて日本語を学びながら、徳山の信徒の方々を育て上げ、教会を設立しました。その後、松蔭短大のキリスト教科で臨床牧会学を日本で初めて教えたのです。

東アジア共同体実現向けて

宗教改革後のヨーロッパの歴史を見るとき、約1千万人が犠牲となった30年戦争を発端にして、各地で戦争状態が絶え間なく続き、第一次大戦で多くの犠牲者を出し、これに懲りずに第二次大戦を経験してようやく欧州連合が誕生し、相互の安全保障が担保されました。今、英国が連合からの離脱を決定しましたが、自国の利益につながるかどうかだけで物事を推し量るとき、その判断は、将来、想像もできない犠牲を払うことにつながるのは歴史が証明している通りです。
今、中国や北朝鮮を軸にして、東アジア各国は緊張関係のなかに置かれておりますが、対立をことさらに強調し、緊張関係を持続させるのがアメリカの東アジア戦略といえます。これを基本にして、沖縄の基地存在や、辺野古移転を正当化できるからです。
沖縄・九州・神戸教区は毎年、戦争や原爆で亡くなった人たちを追悼し、彼らの叫び声に耳を傾けることによって、過去の様々な出来事を検証し、世界平和への道筋を模索しておりますが、東アジアの緊張を和らげるためにはどうすればいいのでしょうか。少なくとも、東アジアに属する聖公会やキリスト教関係者の交流を今以上に密にする必要があります。そして、現時点では、とても実現されそうにない、東アジア共同体設立の夢と希望を抱き、それに向けて前進する必要があると思います。これが実現される暁には、沖縄の基地問題や集団的自衛権問題が自然と解消することにつながるとの希望的観測を私は抱いております。「国家は戦争に向けてよりも、高貴な平和を促進するために合同を求める。戦争を起こさないための国家連合こそ、国家の自由とも一致する唯一の法的手段である。(インマヌエル・カント)」