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主教からのメッセージ

アンデレ便り8月号:倉敷伝道所の22年

2016年8月8日

7月14日(日)、教区主教として最後の巡錫のため、倉敷聖クリストファー教会(伝道所)を訪れました。奇しくも、10年前、この教会の聖別式が挙行されたのと同じ日でした。

ホテルの思い出

前日は倉敷ステーションホテルに泊まり、夕方、平野司祭ご夫妻とホテル地下にある居酒屋で食事を共にし、聖別10年をお祝いしました。10年前の同じ夜、かつての青年会のメンバー約10名が集まり、気勢を上げたところがこの場所なのです。このホテルに大いに感謝しなければならないことがもう一つあります。
 21年前、地下鉄サリン事件が東京で勃発し、乗客や駅員ら13人が死亡し、約6,300人が負傷するという大惨事となりました。その後、オウム真理教が摘発され、「宗教は人びとを貶める怖い存在である。」という風潮が世間では一般的になりました。そのようなとき、管理牧師の私は信徒の方と一緒に、月1回、倉敷地域で礼拝を行うために必要なスペース確保のため、聖公会手帳を片手に、倉敷市内のホテル巡りをしました。聖公会といっても、ホテル関係者にとっては何のことやら分かるはずはありません。まず、聖公会とはどのような教会なのかを説明し、手帳を開いて、聖公会に連なる関係学校園の存在を説明するわけです。これを聞いた担当者は、「いいんじゃないですか。確認のために上司に相談します。」と席を立ち、しばらくして戻ってきたときは一転、「申し訳ありません。当ホテルでは特定の宗教のために会議室をお貸しすることはできません。」という返事なのです。ところが、このホテルは快く礼拝のために会議室使用を許可してくれたのでした。

疑心暗鬼の中での出発

2000年11月23日、神戸教区定期教区会開会説教のなかで、古本教区主教は、「倉敷伝道所を教区挙げての『新伝道地』と指定し、教区事務所宣教部と倉敷伝道所プロジェクトチームを作り、岡山県に第二の教会を設立することを目標に計画を進める。」よう提案しました。これに従って、教区に倉敷宣教プロジェクト委員会が立ち上がりました。委員会は「神戸教区の非常に厳しい現在の状況のなかで、宣教拠点を倉敷、総社地区に設置することの可能性の検討に入り」ましたが、ここで述べている通り、「主教はこのようにおっしゃっているが、果たしてこの計画は実現可能なのだろうか」という、懐疑的・否定的ムードが教役者・信徒のなかに漂っていたことは否定することはできません。
様々な理由で岡山の教会から離れた10名弱の教籍は、当初、福山諸聖徒教会に移管され
ましたが、1994年5月、岡山市内の住宅に伝道所を開設し、ここに津口伝道師が派遣され、

いよいよ礼拝・集会が開始されました。私は月に一度、聖餐式司式のために須磨から西明石まで在来線で行き、そこから新幹線に乗り換えて岡山駅で下車します。駅からはバスに乗って伝道所に行くのですが、岡山駅に早く到着したある日、運動公園を突き抜けて津島南の伝道所に歩いて行くことにしました。気功教室なのでしょうか、公園の一角で、心とからだの健康のために10数名が集まり、体操をしているのをちらっと眺め、数羽の鳥が骨を休めている池の側を通り、日曜日朝のすがすがしい空気を吸いながら公園を後にしますが、自分も健康体になった気分となり、それ以後、礼拝前の公園散策は私の楽しみとなりました。
クリスマス礼拝後のパーティーも楽しいものでした。料理や酒に目のない私は、舌鼓を打ちながら、信徒が持ち寄る料理や酒を堪能しました。あるクリスマスには、美味しいものを食べさせてくれると聞けば、どこへでも出かける娘たちも参加し、クリスマス・キャロルを歌いながらの祝宴は忘れられない出来事の一つです。

果報は寝て待て

倉敷伝道所信徒の、伝道所設立への熱意と結束力により、伝道所内の建築献金が着々と集められ、2003年には3500万円に達しました。総社・倉敷地域には聖公会信徒5家族が在住していることも判明し、後は、宣教の拠点に相応しい土地・建物が見つかるかどうかです。4階建ての元旅館や美観地区付近の平屋などを物色しましたが、どれも「帯に短したすきに長し」で、納得できる物件ではありません。最後に行き当たったのが3階建ての元信用金庫でした。しかし、売買価格は4500万円と高嶺の花なのです。ここはじっと我慢し、相手の出方を待つ戦術にでました。2004年のことです。神様への祈りが通じたのでしょうか、1年過ぎて、景気が次第に回復基調となり、銀行トップが交代し、過剰設備であるこの建物を負の遺産として処理することを決定し、1千万円減額の3500万円を伝道所に提示してきました。このようにして、仮伝道所が開設されて12年目にして信徒の方々の夢である、倉敷地域に教会が実現されたのです。教区にとっても、久々に新教会が与えられました。

では、このような結果を生んだ理由は何であったのでしょうか。当然、倉敷伝道所の人たちの祈りと献金と熱意を抜きにしては何も起こされなかったでしょう。それと同時に、教区伝道所プロジェクト委員の人たちが協働するかたちで建築に関わったことが夢実現の鍵となったことは否めません。

話が大きくなりますが、聖公会は今まで多くの難題を抱えつつも何とか一致を保っております。一致の最大の要因は、それぞれの管区・教区が自律しているからです。しかし、それだけでは真の教会としての歩みは望めません。そこに相互に依存する体制が同時に求められるのです。教会も同様です。

現在、倉敷伝道所宣教プロジェクト委員会は発展的に解消し、神戸教区宣教委員会に衣替えしましたが、委員会は、「神戸教区内各教会が主体となって解決しようとする・・・課題について、当該教会と協働しながら適切に助言し、教会の宣教活動の促進をはかる。」のです。牧師と信徒、教区の委員が協力しながら、宣教活動に寄与した最初のモデルが倉敷であったのです。各教会に目を向けるとき、このような協働体制が充分に構築され、その力が発揮されているとは思えない教会が散見されるのは残念です。倉敷伝道所の10年前の受聖餐者は11名でしたが、現在ではこれが倍増し22名に達しました。とはいえ、自給にはほど遠い数字ですが、次の10年に更なる発展を期待します

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