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主教からのメッセージ

アンデレ便り10月号:小さな群れよ、恐れるな

2016年10月6日

小さな群れよ、恐れるな(ルカによる福音書12章32節)

 140年前の1876年といいますと、キリスト教禁教が解けて3年後、明治維新・神戸港が開港され、砂浜を造成し、居留地・雑居地を建設して8年後のことです。

 SPGとCMSの神戸教区宣教

 当時、神戸港の交易相手の90%は英国でしたが、居留地・雑居地ではカトリック、聖公会、プロテスタント各派の教会が建てられ、その流れをくむミッションスクールも創立され、キリスト教の影響の強い街として神戸は発展していきました。大阪では、ローチャーチのCMS宣教師が居留地で活動し、その人たちが神戸にやってきて、英語を話す外国人のための礼拝を守っておりました。
 1879年、病気療養のために大阪から船で徳島に渡った、後の九州教区監督・エビントン司祭が、徳島の人たちに請われて聖書の説きあかしをしたことが契機となり、教会が建てられました。CMS宣教師は福山でも宣教を開始し、ここから広島や山陰地方に至り、バックストン宣教師も松江に居を構えて、CMS系の教会が多く誕生しました。ではなぜ、CMSとライバル関係にあったSPGのフォス・プナンマー司祭が神戸に赴任してきたのでしょうか。英国聖公会の慣習にならい、横浜と同様、ハイチャーチの伝統を受け継ぐ外国人関係者が多く存在したことが原因かもしれません。フォス司祭は男子教育のために乾行義塾を創立し、これが、外国人子弟のためのイングリッシュ・ミッション・スクールに引き継がれ、松蔭女学校も創立され、神戸に住む日本人や外国人への福音宣教の種がまかれました。

 バジル主教・八代斌助主教・ミス・リーの時代

 フォス主教退任後、大阪地方部の一部であった神戸地域と中四国地方が枝分かれして神戸地方部が創設され、バジル主教が赴任してきました。バジル主教はロンドン・マーガレット通りの諸聖徒教会副牧師、その後、マリア・マグダレン教会牧師を歴任された方で、多くの信徒との交流があり、その人たちに呼びかけて神戸フェローシップを立ち上げ、このメンバーの献金などによって10の教会が創立され、松蔭高等女学校の青谷移転にも尽力されました。しかし、開戦直前の1941年、癌に罹患していたことが判明したのです。主教は、他の外国人主教と違い、退任の意思を明確することなく帰国してしまいました。ところが離日前の常置委員会で補佐主教選挙を実施するよう命じ、同じ年に八代斌助主教が補佐主教に選ばれ、日本聖公会では、最も早く、選挙による日本人主教が選出されたのです。そのバジル主教は次の年の4月に天に召されました。

 日本は戦争に突入し、日本基督教団に加わらなかった日本聖公会は消滅の憂き目に遭いましたが、八代斌助主教は依然として神戸教区主教と同時に、九州教区と大阪の教会を管理し続けました。日本人だけの手による、聖公会組織がここに誕生したのです。戦後の教会復興は、やはり外国教会や信徒の援助によるものでありました。しかし、八代斌助主教は定年の年の1970年に癌に冒されて逝去し、その翌年、戦中神戸に留まり、神戸教区の姿を外国に発信し続けたミス・リーも癌に冒され、ロンドンで静かに息を引き取りました。

 地域と共に在る教会

 1970年後半から、日本聖公会は、外国からの援助なしに自律した教会への脱皮が求められました。神戸教区も例外ではありません。教役者俸給や教会の維持・管理・宣教に関わる費用を献金によって支えるという時代の到来により、自分たちの教会は自分たちが守ると同時に、それが不可能な教会に財政的支援を実施するという仕組みが次第に確立されていったのです。 愛の奉仕によって、苦しみ、悩みのなかにある人たちの必要に応える。そして、愛の絆で結ばれた社会づくりに参与するという聖公会の使命に目覚めたのが阪神・淡路大震災でした。教区外から多くの聖職・信徒が被災者のために活動し、多額の献金も寄せられました。東日本大震災そして九州地震では、恩返しという意味も含め、積極的に神戸教区から教役者・信徒が支援に駆けつけました。
 小さな群れへの祝福
 神戸教区宣教140年にあたり、8月9日に天に召された岡崎正司祭が推薦した御言葉、「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカによる福音書12章32節)」が選ばれました。私たちは小さな群れであることは否定できない事実です。しかも、先頭には羊飼いがいるのですが、何を考えているのかよく分からないのです。ひょっとして狼が襲ってきた場合、助けてくれるのだろうか。自分たちのために満腹するほど草を食べさせてくれると約束したけれども、本当に、川の流れる緑の牧場に自分たちを導いてくれるのだろうかなど、疑心暗鬼に陥っています。小さいことを恐れる。弱いことを恐れる。貧しいことを恐れている。恐れが、人間をどんなに損なってしまうか。人間をどんなに駄目にしてしまうか。羊飼いは十分にご存知でありますが、神戸教区140年の歴史を振り返れば、神は常に小さな群れと共に在り、群れを守り、必要なものを常に提供してくださっていることがわかるのです。

 愛し愛され、赦し、赦される

 1970年10月10日八代斌助主教は逝去しましたが、10日前に、竹馬の友の三和銀行頭取渡辺忠雄氏に、「オレは一生涯こっけいな奴だったな そう思うでしょう」という手紙を送りました。12月5日に立教学院での記念追悼式で渡辺氏は「宗教家として、八代主教が成し遂げた仕事のむなしさ、人びとの魂を救い得なかったことの心残りを、この手紙は語っているのではなかろうか」と述べました。同年9月29日・ミカエルの日、私は執事に按手されましたが、司式できなかった八代主教のメッセージが礼拝後この聖堂に流されました。「教区の皆さん、どうか、お互いに愛し、愛され、許し、許される心を持って下さい」というものでした。愛の絆にしっかりと結ばれた群れとして、私たちは宣教150年に向けて歩み始めることが求められます。
(9月22日・神戸教区宣教140年記念聖餐式説教抜粋)